自分、たぶん、
大学通うようになって、
色んな授業受けて、
色んな考え方を持つ人と出会って、
ある意味、冷めた人間になった気がする。
でもそれは、悪い意味じゃなくて、
良い意味だと、自分では思うわけで。
冷めたっていうのは、ある一線を引いて、
別の立場で物事を見て、考えられるようになったってことかなと。
そういう力って必要だと思う。
「世の中の役に立ちたい」
「みんなを幸せにしたい」
「全てがクリーンな世界にしたい」
そんな風に考える、「優しい」人はいると思う。
ただ、そんな「真っ白」な人は、ある人より優しくはなれないと思う。
世の中の黒い部分を知っていて、
理想がすべて叶わないことを知っていて、
自分の中の悪い部分も知っている、
そんな人が、実は本当に世の中の為になれるんじゃないかと、
個人的に思うわけです。
「綺麗」という感覚を得る為には
「汚い」という感覚を知っている必要がある。
汚さを知らない人が綺麗であると考えられるはずがない。
「世の中の為になる」ことをするには、
「世の中の為にならない」ことを知っている必要がある。
ピュアな心を持つことはもちろん良いことだけど、
それだけじゃいけないと思う。
それと共に、荒んだ心を持っている方が、
きっと良い人になれるんじゃないかな。
そんな荒んだ心で、世の中を冷めた眼で見て、
冷静に考えて、
その後、誠実な心をもって、行動すればいい。
完全に良い人でいる必要ってないよな。
むしろ、そんな人はきっと社会に順応しない。
自分の中の絶対的な正義や美学に捕らわれすぎている人は、
たぶん、それは自己満。
その人の思う「人の為、世の中の為」には成り得ない。
だから、そういう「善と悪」を知る人になるために、
勉強したり、人と会ったりしなくちゃいけない。
「人は一人では生きられない」って、
たぶん、こういう面でも言えることだと思う。
自分の中に悪い部分があることを肯定することは、
もしかしたら難しいかもしれなけど、
それが出来た方が、きっと素敵な人になれる。
悩む人はきっと素敵な人です。
主観から抜け出して客観できるようになる。
それが、一つ、成長したって言えることかな。
サッカーの話に無理矢理もっていくと、←
上手い選手は、試合中でもピッチを俯瞰で観える感じがするらしい。
俯瞰っていうのは、空から全体を見渡すこと。
これも一種の客観的な見方なんじゃないかな。
広い見方っていう意味で。
全体を観る力、空気を読む力は、こういうところでも重要。
あれ?なんか話ずれた?w
まぁとにかく、何が言いたいのかっていうと、
大学に入ってよかったー!ってこと。
オレンジデイズ的な青春は無かったかもしれないけど(笑)、
一人の人間として、新しい物の考え方が出来るようになったことは
本当に良い結果だと思います。
って、まだあと1年くらいは大学生でいるわけですがw
ふと今、思ったことです。
あー、文章ぐっちゃぐちゃwwなんだこれww
思いついたことを出てきた順に書き連ねただけでした!
P.S.今夜のCL準決勝、楽しみ!結果見るしかないけど!w